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猫言

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no.050 Vガンダムの感動。

アニメ>ガンダム>VG 2004年02月07日

メモリアルボックスですよ♪

にゃ〜、にゃ〜、うにゃ〜ん♪ 待ちにまってたヤットデタってなもんだいっ!

と、いきなりぶっ壊れモードでお送りします久しぶりの猫言、 はい、もちろん話題はVガンダムのDVDメモリアルボックスでましたよ〜、買いましたよ〜っ!っということです。

猫にとって一番の映像作品はVガンダム、一番の小説は皆川ゆか先生のティーパーティシリーズなのですが、 なぜ、富野作品のなかでもVガンダムかというと、 Vガンダムが一番 富野由悠季という天才の作った最高の純文学であるからです。

Vガンダムは富野さんがもっとも追い詰められていた時期の作品で、 もっとも娯楽とは縁遠い作品です。画面からはシリーズ全般を通して戦争の狂気がむき出しです。 そんななか、「ウッソ」という名の13才の少年が戦争に身を投じていく話なのです。

戦争と、狂気と。

戦争とは、 個人から見れば恨みもなく、殺したいという衝動もなく、殺人を強要される行為です。 こうして言葉に書くと「なにを当たり前のことを」という気もしますが、 それをリアルに描いた映像作品があるでしょうか。 知っている人が死んでいく、知っている人を殺すという生々しさを 一生懸命「いい子であろう」とする少年に強要される場の禍々しさ、 強要する側の懊悩、それらの感情の渦が狂気となって画面からとめどなく溢れていく、 それがVガンダムという作品です。

「嘘」という少年の名は、13才の少年がエースパイロットになって人を殺しまくるという 押し付けられた設定にたいするアンチテーゼだと思われますが、 その嘘をリアルに描いたとき、Vガンダムという作品の、正視に堪えない禍々しさが 運命付けられたといえましょう。 見ている人間の心を掻き毟るこのような作品が、大衆文学足りえないのは自明の理です。

ですが、猫はVガンダムに強くひきつけられます。

Vガンダムは、次第に、親の世代からこの世代、姉から弟、といった、 世代を紡ぐという希望にテーマをシフトしていきます。

マーベットが私たちの赤ちゃんを生んでくれるという意味、お前には分からないんだろう!?

という叫びを残し、散っていく女性パイロット。

坊やを守ってあげられるシュラク隊は、私一人になってしまったよ!

Vガンダムの秀逸な点は、こういう魂の叫びを上げ散っていく人たちが、 ことごとく「犬死」なことでしょう。 英雄化もしないし、死に意味も持たせないという突き放した現実のなかで、 レギュラーキャラクタが次々に死んでいくという展開は、 感情移入をする視聴者には憤りを覚えさせます。

でも、ある日ふと気づくのです。 結果を出すことが重要なのではないのだと。

通算何十回目の視聴をしている時、猫はフッとそのことが 分かってしまいました。こうして言葉を重ねても表現できないこの感動。 ああ、Vガンダムはこういう話だったのね。

人は、どうしようもなく愚かな生き物だけれども。

「ガンダム」の名を冠する作品のなかで、もっともリアルに戦場を描いたこの作品は、 片手間や娯楽で見ることを許されない。 だから、猫はVガンダムだけはBGV(バック・グラウンド・ビデオ)として流せないのです。

地球から人類を抹殺しようと考えた頭でっかちの老人「フォンセ・カガチ」にウッソはこう言います。

生き物は親を超えるものです。親は子を産んで死んでいくものなんです。

その真理を忘れているこの作戦は元々破れるものだったんですよっ!――と。 しかしカガチは増えすぎた人類はもうそんな真理を踏み越えてしまったのだから、 滅びなければならないといい、ウッソはそれならばと「僕たちが新しい方法を編み出してみせます。」というのです。

しかし、そんなウッソにカガチは言い放ちます。

その自惚れが人類を間違えさせたのだぞっ!

でもね、ウッソはこう答えるのです。

僕らが出来なければ、次の世代がやってくれます。

この台詞を理解するまで、猫は4年もかかってしまいました。 頭ではすぐに理解できたのです。でも、それが心に響くまでに何十回もの視聴を経てしまいました。

だから、犬死でも、なにもかわらなくても、 次の世代を守ろうとする心が、 戦場の中で生まれる次の命が、きっと狂気と絶望の渦に巻き込まれたVガンダムという作品の そして、富野由悠季のもつ人間観の はかなくも遠いたった一つの希望なのでしょう。

あたしたちに出来なくても。 だから、人というどうしようもなく愚かで切ない生き物だって生を紡いでいけるのです。 バカは死ななければ直らないかもしれないけれど、 死んでいくから、愚かさの中に夢を紡ぎ上げることができるのです。

戦争が楽しいわけがないじゃない。

Vガンダムは その女性描写の見事さから「女達のガンダム」と言われます。 でも、不幸にもウッソの母も父も ウッソに「嘘」を押しつけたがため、母としても父としても問題だらけの人物でした。 だけど、ウッソはたくさんの年長者がいて、 その人達は、もしかしたら自分よりも強いかもしれない少年を 命がけで、本当に命がけで守って、死んでいくのです。 ――結果的に、守ったことになっていなくとも。

世代を紡ぐという本能は、人に与えられた唯一の希望なのかもしれません。

そんなこんなで、久しぶりの猫言はいかがでしたでしょうか? 私はVガンダムという作品に出会えて幸せでした。本物というものがこの世にあるなら この作品は紛れもない本物です。人の心がリアルであること。世界がリアルであること。 だから、楽しく家族で見るような作品では決してありません。

ロボットアニメだから、闘うのですが、 戦争をテーマにした作品が「スカッとして楽しくって軽い気持ちで見ることが出来る」と 思うだなんておかしいのに、おかしくないと思っていた。 ガンダムはそれを「間違いだ」と最初の作品だから、 Vガンダムはもっともガンダムらしく、もっとも見るのが辛く、 そして後に残るものも多い作品です。

だから、アニメを文学と捕らえられるのなら、純文学に価値を認められるのなら、 私の愛するVガンダムを、どうか見てください。

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