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猫言

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no.044 おかえりなさい。

雑文>ともだち 2002年10月05日

ここのところずっと更新のなかった猫言です。
楽しみにされていた方、申し訳ありません。
(そんな奴はいねぇ、というツッコミは無しとさせて頂きます)

が、「ともだち」「続ともだち」でもお伝えしたとおり、 私の大事な友人が亡くなってからこちら、 楽しませる文章を書くということが出来なくなってしまいました。
無理して書いた、前回の「漫画屋の底力」なんかは、もう泣きたくなるくらいひどい出来で ほかにも何本か書いているものはあったのですが、更新するような気分にはなれませんでした。

やっぱり本人が楽しくないと、楽しませる文章ってのは書けないものですね。
(と、いいつつ元からあまりおもしろくない、というのは内緒です。)

そんなこんなでしばらく休んでいた猫言ですが、ちょっと形を変えて復活です。

しかし、書こうとしても書けなかった猫言がなんで復活したかというと それは、とっても、とっても嬉しい事があったからなんです。

なんと、生きていたんです。
さすがゲームで知り合った友達、復活呪文を唱えたら生き返った!・・訳ではなく 危篤状態だったため死んだと伝えられたということらしいですし、 今までずっと昏睡状態で、やっと最近意識が戻ったとのことでした。

今も入退院を繰り返しているようですし、単純によかったとは言えない状況ですが、 猫は根が単純なのでここは単純によかったと言っちゃいます。

よかった〜っ!

でも、今回の件でネットでの人間関係はなんだかとっても奇妙で おもしろくて、そして不自然なんだな、と思いました。

たとえば私はここで三猫と名乗っていますが、もちろん 本名が三猫な訳もなく、ということは、ここを読んでいる大半の方は 私の本名すら知らないことになります。

現実の人間関係では、本名も知らないとなるとあんまり親しくない人、 ということになるので、ネットでもそうかなというとそう単純なものではなく、 意外に現実での友人も知らないような事を知っていたりします。

今回ネットでの友人が亡くなったと聞かされて、 私は酷い悲しみに襲われました。
ですが私はその友人のことを、友達ならば知っていて当然の事でさえ知らなかったのです。

で、そのことが実際の人間関係の深さを示すか否かは、 「ともだち」「続・ともだち」で(いささか悲観的ながら)書き尽くした感がありまして、 この「相手の事を全然知らないのに、よく知っている」という事象のもう二つばかりの 側面をちょっと書いてみたいと思います。

チャットは、文字を打つという行為故に、 現実世界の「会話」を低い情報量で再現したモノに過ぎないと取られがちですが、 電子メールが郵便とは似て否なるものなように、 チャットも今までにない全くあらたなコミュニケーション手段と言えます。

チャットは知っての通り、「外見」という付加情報を完全に隠蔽しながら会話が成り立たすことが出来ます。 つまりチャットの特徴の一つは、外見による第一印象の欠如です。

実際、人の関係は「まず外見ありき」です。
もちろん「話してみたら意外に○○な人だった」なんてのはよくあることですが、 意外に、というからには第一印象は外見、すなわち肉体の印象の影響をしっかり受けていることになります。

男女から始まって、年、体型、顔つき・・。実際肉体は実に表情豊かです。
そして外見と心はたいてい矛盾しないという経験則から、会話する前に外見である程度の目星をつけてしまいます。
ですが、チャットの場合とりあえず会話しないと印象がつかめないので、 逆に言えばより、心への評価としては妥当な所から関係がスタートするのではと思います。

こういった情報のなさ故、先入観を持たずに済む、というのも大きな利点なのですが、 もう一つ、自分自身も自分の印象にあった行動を取らなくてよいというメリットも大きな利点です。

やっぱり人は自分の肉体に相応な態度をとらないと恥ずかしいと思ってしまいます。
年をとっていれば「年相応」な態度をとらないと、 男ならば男らしく、太っていれば「自分はかっこいい」なんてそぶりを見せない。

そうでないと、笑らわれてしまうかもしれないし、恥ずかしい思いをしてしまいます。
ムキムキマッチョな男性が女の子言葉をつかえば、普通ギャグですものね。
「人の目なんか知ったことか」を笑い飛ばすことが出来る人って、そういないでしょう。

ただ、たとえば男でも自分がかわいくありたい、って思うこともあるでしょうし、 年とってても、拗ねたい、はしゃぎたい、尖っていたいと思う人もいるでしょう。
「○○たい」を思うって事は、現実で人に見せている姿が世間の常識に会わせて ゆがめられた姿であるってことですから、その人の本質に近いというわけではないわけです。
だから人間関係は面白いってのもあるでしょうけど・・。

ただ、恥やら外面、体面を気にしないで振る舞える面、その人の心の衝動には正直になりやすい訳で そういう面に限って言えば、ネットの方が良いわけです。
まぁそれをいいことに泥棒やら嫌がらせやらといった方向も正直だったりする人が いらっしゃいますが・・・(^^;

そして、何よりも思うのは、一度人と関係ができると、 ちょっとやそっとの事は許せてしまう(と、言うよりはその程度のことと思えてしまう)こと それは、ネット、現実共に一緒だということ。
男らしく過ごしている人が突然甘えだしたりすることは まずできないかけど、ネットで甘えたそぶりで振る舞っておいて、正体を明かすほうが まだできるかな、って思うのです。

つまるところ、人間関係の終着駅は、現実だろうと、ネットだろうと、はたまたニュータイプだろうと そう変わらないのかもしれません。
ただ、道が歩きやすいか、そして生きている間に終着駅にどれだけ近づけるかということくらい の差があるだけでしょう。

ネットは歩き始めがとっても楽です。(でも歩くのをやめるのも楽なのよね(^^;) ) ただ、一ついえるのは、私の出会ったネット友達は、きっと出会ったのがネット以外の場であったなら、 今とは別の関係は築けたとは思いますが、今と同じ関係は築けないかもしれません。
(例えば、年の離れた者同士が対等の友達になるのって、難しいですよね?)

そして、「もしも現実で知り合った」関係よりは、今の関係のほうがいいと思えるのです。
だから、私はネットがある幸せを感じてしまうのです。

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