三猫OnLine 2002年6月のねこごと
天には月、地には光。

2002年6月30日

....などと、タイトルで少し気取ってみた三猫です。

さて、三猫OnLineが全力で推奨しているターンAガンダムですが、 待望の劇場版ターンAのDVDが発売になりました。

辛辣な言い方をするならば非常に良くできた総集編でしかない この劇場版ですが、それでも見る価値は十二分にあるとおもう三猫です。
レンタルも開始されましたし、よろしければお手にとって見るのも一興かと思います。

劇場版DVDがでたから、というわけではないのですが、 良い機会だとおもい福井晴敏さんの小説「月に繭 地には果実」を読みました。

この小説は以前ハルキ・ノベルズででていた「∀ガンダム」を改題、再構成したもので、 ようはターンAガンダムのノベライズです。

ブレンパワード以前のトミノ監督(ガンダムシリーズの監督)は、 監督自身が人類に絶望しつつもなんとか、無理にでも希望を見いだそうと 蜘蛛の糸のような希望のカケラをのこしていく作品が多かったです。
なかには、希望のひとかけらも残さず人類を絶滅させてしまった作品もありますが・・。

その、狂おしいまでの人物描写に心を揺さぶられつつも 視聴者までも絶望に追い込んでしまうストーリは ハッキリ言って見るのが辛いものです。
娯楽気分で見るには辛すぎる内容に、猫は以前から 富野作品は純文学的と評してきました。

そんな富野監督の人類絶望節もブレンパワードという作品を機に 人類への絶望をやめてしまいます。
端的に言えば、監督は人類は愚かさを繰り返すものという観点から 人の成長を(疑いつつ、ではなく)信じるスタンスにたったのです。

猫はそんな富野監督に惜しみない絶賛の拍手を送りますが、 そんな反面物足りなさを感じているのも事実です。
人物や世界観の描写に以前のような凄味を感じないんです。

と、いう疑問に、実に雄弁に答えてくれるのが小説版ターンAです。
(大回りをして、やっと本題に戻って参りました(^^; )

この小説版、前半(地球光相当)こそアニメと 同様の軌跡を描きますが、 小さな気持ちの小石に躓いたことから、 カテジナ・ルースばりの悪女となってしまったキエル嬢、 あれよあれよというウチに物語は救いようのない破滅へ 転がり落ちるその展開、描写は もし富野監督が趣旨替えをしなかったならターンAはこんな絶望の話になっていたのでは、と思わせる秀逸作です。

富野監督以上にトミノらしいと評して構わないと思います。

そして、小説版の展開・描写に、手っ取り早く心を揺さぶられる自分を 感じてしまうのも事実です。

人は本音を常に隠します。だから人が本音を吐露するときは感情の爆発を伴います。
つまり、絶望と呪詛の響きこそ本音を本音と感じ取れる瞬間ではないかと、そう思います。

人は真実の持つ叫びでしか、心を揺り動かされません。 ですが、絶望の吐露で心を動かされる演出をしていけば、希望を語ることさえも絶望の最中ではなくてはならないという、なんとも病んだ状況に陥らせます。

悲劇の中の希望、それから二十数年ぶりに解放された富野監督の作る作品は、 未だ、絶望の最中の雄叫びほどの説得力を持つに至っていません。
ですが、その天才的な演出力はいづれ我々に光のなかで語る希望に 真実の重みをもたせてくれると猫は信じています。

と、言うわけで、
皆様、今秋から始まるトミノ作品最新作「オーバーマン・キングゲイナー」を見て下さい!
(7/6(土)に特別先行版が放映されます。そちらも、是非!!)

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正義の味方。

2002年6月23日

先日、ウルトラマンコスモス、ムサシ隊員役の杉浦太陽さんが2年前の恐喝、暴行事件で 逮捕されたことにより、打ち切りになったことをお伝えしました。

正義の味方が、恐喝、暴行。しかも役上では怪獣をも保護する優しいウルトラマンということで 面白おかしくお伝えするにはうってつけのニュースです。

猫としてはマニアさんの目を気にしてそれほど揶揄したりはしませんでした。
せいぜい「役者の不祥事ごときで作品をお蔵入りにされちゃあ、 制作者もファンもたまったもんじゃないよね〜」程度の感想しか持っていませんでしたが、 そんな猫の甘い認識を打ち砕くお手紙をいただきますた。

どうでもいいことに感じるかもしれないが 三猫殿のページでも太陽逮捕ネタが書かれていたが

>・・・えっと、正義の味方も地に落ちたものです。
↑の表記は誤解を招くのでやめたほうがいいよ。
確かに太陽は役者の上ではコスモスであり、正義の味方でもあるが それでは世間一般のウルトラの真髄と子供に与える影響力を わかっていない大人達が騒いでいる言い回しと同じようにとれる。

ふみゅう、猫は猫言「ミュウミュウ。」で散々子供向け云々と書いておきながら、 ウルトラマンが子供向けということをきれいさっぱり忘れていました。
この番組のメインターゲットはDVDをポコポコ買ってくれる大きなお友達ではなくって、 テレビの前で一緒にアクションしちゃうようなお子様です。

でもね、でもです。
ホントは太陽さんが何をしようとも、知らんぷりしちゃって 放送しちゃうのがいいかな、と猫は思います。
それができないときに、子供にどう説明すればいいの?って話もわかります。

ちゆさんじゃないけど「ウルトラマンは、実は恐喝星人だったのよ」ていえばいいか、
それとも「ウルトラマンはホントはいないの。役者が恐喝星人だったのよ」 がいいか、どっちも50歩100歩だと思います。

と、ここまで書いてきてハタと思いついたのが、
自分が子供の時、ウルトラマンが役者であることを知らなかったのかしら? 疑問です。

私が子供のときは、ウルトラマンの背中にファスナーが在ることも知っていましたし 変身前の隊員が役者であることも知っていたような気がします。
また、そう言うことが解らないと思って自分達を扱う大人を 反対になにもわかっていないな〜と見下していたようなイヤな子供だったような気もします。

でもウルトラマンを信じていなかったかというと、そうでは無いんです。
デバートのウルトラマンショーでは、ウルトラマンの中に人が入っているのを知っていましたけど、 それが即ウルトラマンの存在の否定には結びついていなかったと思います。

そうかんがえると、子供の頃はウルトラマンの存在する世界というのが あり得ると知っていた、というのが正しいかな、とおもいます。

子供は無限の時間をもっているお陰で、無限の可能性をもっています。
そしてその無限の可能性をもってすれば、将来ウルトラマンになることも不可能ではない と感じていたのかな、って。
いま、そこにあるモノが虚構でも、それとわかって正義の味方の存在を否定しないという 器用なことが出来るのが子供なのです。

子供にとって、虚構 = 嘘 ではないのです。
だって、そのうちホントになるかもしれないから。

コスモスに変身するムサシ隊員が実は役者であることを伝えても子供の夢は壊れません。
でも、その役者がムサシ隊員の考え方、思い方、そしてウルトラマンを否定してるという事実を もし子供が知ったなら、その瞬間ウルトラマンの存在も色あせてしまいます。

その瞬間、ウルトラマンは虚構ではなく嘘になってしまうからです。

そして、そういう子供の夢を守る仕事、それこそが正義の味方の本質なのではないでしょうか?

と、言うわけで、
「太陽さんは正義の味方のふりした、恐喝星人だったのよ。
正義の味方の円谷星人は、コスモスを助けるため恐喝星人抜きの総集編を作ったの」
で、どうでしょうか?
ついでに、
「恐喝星人の太陽さんは、コスモスに保護されて故郷の星に帰っていったわ」をつけると完璧かしら。

・・あぁ、またクレームつきそう・・・。

追記 (6/25)

誤字がありました。
 ×:大地さんは正義の味方の・・、恐喝星人の大地さんは、・・
 ○:太陽さんは正義の味方の・・、恐喝星人の太陽さんは、・・
お詫びして訂正申し上げます・・って誤字という範疇じゃないです。(TT)

誤字指摘ついでに、貴重なご意見をいただきました。ありがとうございます。
この場を借りてちょこっとご紹介&ご返答。
おれとしてはウルトラマンコスモス=春野ムサシ=杉浦太陽なんだよね、 ウルトラセブン=モロボシ・ダン=森次晃嗣であるみたいに何年経っても ヒーローを演じた人(中の人じゃなくてね)はおれから観ればヒーローと同一人 物なんですよ。

(中略)

だからそのヒーローを別の機会で観ることがあると嬉しい反面、違和感を感じることもあると思う。
よく思い出して欲しいんだけど、 バトルケニアこと曙四郎は大葉健二が演じてて、 次のデンジマンでは大場さんはデンジブルーこと青梅大五郎やってたじゃない?あの時なんか違和感感じたんだよね?なんでケニアがデンジ星人なんだ?って(笑)
ヒーローとして知った役者は、役者でありながら他の役を演じているのをみると強烈な違和感を 感じてしまうという指摘には、なるほど!とおもいます。

猫は特撮と距離を置いた幼年時代を送ったせいか、それとも未だに芸能人を覚えるのが苦手なせいか比較的気にはならない質でしたが、 それでもそういう記憶はありますね。

とりあえず今のウルトラマンコスモスに夢中な子供達に何か言わなくちゃならなかったら 「ウルトラの星に帰った」(少なくともおれはこれで納得する(爆))や

(中略)

「ムサシ隊員はウルトラマンコスモスと共に地球を去っていったんだよ、今まで地球を守ってくれてありがとうだね」 とか言ってあげておいた方がいいのではないかと思います。
お、おとなだわ。
やっぱり「ウルトラの星に連行された」はまずいですか(^^;


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史上初、理系カメラ雑誌創刊。

2002年6月20日

デジタルフォト専科 第1号が発売になりました。

この雑誌、読むとやたら文月凉さんが目に付きます。
田中チョートクさんに続き文月凉さんも遂にひとり雑誌か!?ってなくらいです。

文月さんはPC USER誌でデジカメのレビューをずっと書いている方なのですが、 理詰めなレビューと、 第一世代の300万画素機の比較特集で、「全て買うに値しない」と切って捨てたような 容赦ない評価で人気を博しています。

容赦ない評価といえば、田中チョートク氏やスタパ斎藤氏も共通するかと思われますが、 彼らと文月さんの決定的な違いが在ります。

それは前者は感性で評価しますが、文月さんは理屈で評価するということです。

かつて、カメラの評価といったら感性の評価でした。
カメラは一工業製品ではなく芸術家の筆であるため、 どのような分析をしようとも、最終的な評価は感性が決めます。

ですので、多くのカメラ記事は 一見もっともらしく分析しているように見えながら、全てはライターの気分次第。 好みであれば、長所をめいっぱい強調し、短所もアバタをエクボにしてしまいます。
分析なんて飾りです。えらい人にはそれがわからんのです!と言うわけです。

もちろん感性で書く記事が悪いわけでは在りません。
コラム的性質であれば、感性でかかれた記事は読者の共感を呼び、 大変心地よいモノです。
典型的な文系(よみもの)雑誌というわけです。

しかしこのような文化基盤が長く続いた為、レビュー記事とコラムの区別もできずに アジア市場向け超低価格一眼レフに中級一眼レフ並の造りの良さがないとケナす バカレベルの低い記者 が珍しくなくなってしまった、悲しい現実があります。

さて、デジタルカメラの登場は、PC的立場からカメラを評価するという スタイルを生み出しました。
とくに文月さんの記事などは 製品のコンセプトモデルを見当し、うっとおしいほど理詰め理詰めで展開することで 読者を好きなカメラが批判されても 苦々しくも納得せざるを得ない状況に追い込みます。
典型的な理系(ぶんせき)記事です。

そして、ついに 理系な姿勢をそのまま1冊にした雑誌、「デジタルフォト専科」が発行になりました。
これは雑誌的には小さな一歩ですが、カメラ業界にとっては偉大な一歩です。

しかし、それにしても文月さんは強烈です。
デジタルフォト専科でももちろん文月節は炸裂です。

例えば、富士FinePix S602の記事では

いやはた巷では、なにやら文月は富士写真フイルムを親の敵のように批判し、 どんなカメラでも「だめだ!だめだ!」と言っている、というような話を聞くが、 それは甚だ心外である。
筆者がダメだしをしているのは、 (中略) 筆者が写真の主題を妨げると考える「ノイズ」が 同社のカメラに多く、かつそれが長年なかなか改善されないからだ。

と疑惑を否定しつつ、さらに、

筆者は、よくないという点は絶対に曲げない。
差し違えてでも改善して頂く覚悟だ。

とすばらしい覚悟を示されるあたり、 文月さん、もうサイコーです。

とはいうものの、カメラは写真を撮る道具。
かつて赤瀬川源平さんがミノックスを金属製のトロの刺身と例えましたが、 そのような文学的感性を捨て切ってしまうなら、カメラ雑誌はたいへん味気なくなってしまします。

デジタルフォト専科では、そこらへんがちょっと心配でしたが、 ちゃんとDiMAGE Xを金属製のはんぺんよばわりするなど、 むりやり食に結びつける文学的感性は引き継がれています。
なんだか微妙に安心ですね。

と、言うわけで、
理系カメラ雑誌「デジタルフォト専科」を応援したいがために 半ば強引に理屈をでっちあげた猫はバリバリの文系ライターです。

[目次へ戻る] [カメラ雑誌のレビュー典型]

好き好き! 伊藤真澄さん。

2002年6月17日

猫は伊藤真澄さんが大好きです。
と、のっけから読者さまを置いてけぼりですが、とにかく好きです。

今日「空耳ケーキ」を買いました。
発売からずいぶん経ってしまいましたがようやく手に入れたわけです。

「空耳ケーキ」はあずまんが大王のオープニングテーマで、 伊藤真澄(と上野洋子)さんが歌っています。

ほんわりとしたメロディと伊藤真澄さんの独特な歌声が相まってすごい良い感じになっています。
なんだかちよちゃんがどこまでも飛んでいきそうな感じといいますか、 ヘットホンで聞いていると、もう仕事なんてどうでもいいや〜♪という気分になります。

猫が伊藤真澄さんの歌と出会ったのは実は結構最近で、「宇宙海賊ミトの大冒険」というアニメの エンディングでした。

エンディングテーマ「家路」は雨上がりの天野原町をミトが巡る画とあいまって かなりの癒し系です。
家路はまちがいなく名曲ですが、猫はそのころ ミトにLDを全巻買ったあげく後から発売になったDVD-BOXももちろん購入したりする程度にミトははまっていましたが、 世界観とまったく違和感ない彼女の曲は「ミトのエンディング」という視点でしか見てませんでした。

(まんがの森のフェアで睦っちゃん(ヒロイン)のセル画を入手してそれを眺めて一日中にやぁ〜も、してたにゃ〜)

あらら、話が脱線しました(^^;。
えっと・・・、
そんな猫を伊藤真澄の虜にしたのは、翌年放送された 「宇宙海賊ミトの大冒険 2人の女王様」のエンディングテーマ、「まあるい空」 でした。

やわらくもなつかしいラブソング。
「♪ま〜わる世界はふ しぎ〜 あ〜なたに出会えた」のフレーズと 伊藤ヴォイスが相まって、最強の癒し効果が発揮されます。

なんといいますか、伊藤真澄さんの声って中山エミリさんの顔みたいなんですよね〜。
飲み物に例えるとドクターペッパーかしら?
アクが強くって、型にはまった美しさではないけど、気づけばやみつきになるという麻薬のようなところがソックリです。

一度好きになっちゃうと、伊藤真澄なしの生活は考えられません。
・・とはいうもののマイナー歌手の悲しさ・・あんまり顧み駆られないというか、 坂本真綾みたいにベストアルバムがでるくらい人気でないかな〜と、常々おもっていました。

(とはいうものの、結構活躍してます。)

そこにヲタクのバイブルあずまんが大王での採用!
よしっ、、これで中毒患者が増えます!!!

空色ケーキの評判も良いようですし、これで中毒患者が一気に増えて YAGの学園祭の特別ゲストに呼ばれるようになるに違いありません!

そしてゆくゆくは
オリコン一位!、目指せ!紅白です!!

と、言うわけで、
気分は 好っきだよ好っきだよの声っ♪ ですわ。

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ユング博士とワールドカップ。

2002年6月9日

「共時性」という言葉をご存じですか?
心理学の礎が一人、カール・グスタフ・ユングの唱えた概念で、 ようやくすれば、偶然(あるいは奇跡)とは、人々の集合的無意識がもたらす、というものです。

言葉をかえれば「信じる心が力に変わる」です。
まぁ、マーフィーの法則も、 人々がつい「こんなにうまくいくわけがない」と信じてしまう心が引き起こしてしまうのでは、なんて言ってる人も居ますし、
これと量子力学の観測という概念を組み合わせると信じる力が確立の及ぼす力というのは、結構科学的にあり得る話なんて言う学者さんもいます。

突然ですが、猫がサッカー観戦をするとごひいきのチームが必ず負けます。
・・・という迷信があります。

猫はサッカーにそれほど興味は無いので日頃観戦したりすることは滅多にないのですが、 ことワールドカップともなると話は別です。

思い起こすは、前回のワールドカップ予選。4年前のことです。

当時、日本は2002年ワールドカップ開催地に決定し、そのまえになんとしても 自力で予選突破を、と息巻いてました。

もちろん猫は日本を応援するために中継に見入ります。
しかし・・・
見て、見て、何試合見ても負け、負け、負け。 猫の見ている試合は1試合も勝てず、気づけば日本代表は崖っぷちに立たされました。

ところが、猫が「ああ、コレはもう絶望的ですよ」と
サッカー中継を見るのをやめたとたん、日本奇跡の快進撃。
勝って何とか予選突破を果たしたのでした。

うわ〜い、勝ったよ〜!!と、本戦リーグを猫は精一杯応援したのですが、 日本代表は1勝もあげることは出来ずに決勝リーグ進出は夢と消えました。

それに加えて、猫が中継を見出すと点を取られるという絶妙なタイミングが 続いたせいで、猫は応援すると負ける奴という誠に不名誉な噂が 誠しなやかに流れるようになりました。

さて、それから4年立ちました。
4年と日本代表が勝つのと猫の視聴は関係ないと至って常識的な見解を取り戻してました。

だいたい私一人が見るのをやめたからって、結果が変わるわけは無いんです。
・・猫が見ていると負けると信じる皆様の心が、力に変わってるとでも言うのでしょうか?

日本VSベルギー戦、日本がんばれ〜♪
猫は時間の関係で、後半から見出しますが、何の前半は0-0です。
う〜ん、まだこれから!

と、思ったのもつかの間、いきなりベルギーに1点を入れられる日本。
・・いやな予感がよぎります。

こらあかんと、猫は席を立って自分の部屋に引きこもります。
が、引きこもってすぐに「同点ゴール入ったよ」と響く母様の声。
・・良いタイミングです

コレは見ない方が良さそうだ、と猫はサッカー中継を見るのをあきらめます。
あきらめますがやっぱり気になります。

う〜ん、みたいよぉ〜。っとジレンマに苦しむ私に母上が追加点が入ったよとの お知らせを。う、ううう、ちょっと確認するだけならいいよね?

と、自室のTVを付けた私の目に飛び込んできたのは、 ベルギーに同点ゴールを決められる日本代表の姿でした。

・・・・・(絶句)。

・・猫はその後1度たりとも日本-ベルギー戦を見てません。
見てませんとも。

と、言うわけで
猫は決して迷信を信じていません。信じていませんが、
今、日本-ロシア戦も見ずにひたすら猫言を書いています。
・・・助けてひとみちゃん(TT)

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ミュウミュウ。

2002年6月8日

恥ずかしながら、猫は今日初めて東京ミュウミュウを見ました。

猫はそれこそ学生のときはOnAir中のアニメは全て録画してみていたのですが、 社会人になってからというもの、録画してもアニメを見る時間が無くって、 次第にアニメを見なくなってきました。

そんな中でも見ていたのは「∀ガンダム」、「宇宙海賊ミトの大冒険」、「今、そこにいる僕」 だったりと、ある意味偏ったラインナップ以外は見ないようになってました。

で、東京ミュウミュウなのですが、5人の少女が悪と闘うセーラームーンタイプの TVアニメです。

ですが、イチゴ、ミント、プリン、レタス、ザクロ、と統一感がありそうで無いラインナップでしたり、 TPOによってメイド服をきたり猫耳戦闘服(イチゴ)を着たりと大きいお友達を露骨に意識した服装など、かなりの色物設定です。
っていうか、まんまエロゲーで良くあるヒロインものパロディよね。(^^;

ヒロインのラインナップもセーラームーンは性格的なタイプわけだったのが 年齢、スタイル的にもばらけさせているアタリがBeforeギャルゲーだなぁ、とおもった次第。
うん、時代は流れているのね。

ついでに時代の流れでデフォルト貧乳なのも良い感じです。

そんな楽しい設定をネタとして注目していた猫ですが、 実際に見ないで揶揄するのも失礼よね、と見てみることにしてみました。

で、実際に見た感想ですが、・・・こ、これは恥ずかしい・・

いえ、東京ミュウミュウが恥ずかしい、と言うわけではないのです。(いや、そうでもないかしら・・・)
見ている自分が恥ずかしいアニメです。

私がセーラームーンを見ていたときは確かに未成年でしたがH同人誌を買ってしまうくらいには子供じゃなかったですし、 今でもカラオケで「乙女のポリシー」を熱唱するくらいには 恥を捨ててると思ってました。

でも、女の子がコスチュームは着てるのに髪は黒いままで不気味な変身アイテムのCMだとか、 おきまりの変身シーンだとか、「子供向けの定番」がここまで露骨にあると 見ている自分を家族に見られたらどうしよう不安になる自分が、 なんだかアニメバージンにもどったみたいで新鮮でした。

こういう建前お子様向けで、その実 大きいお友達を露骨に狙ってるアニメをみるのって、久しぶりだな〜と思ったり。
深夜アニメのお陰で青年向けアニメが普通になって久しいので、ことさら そう思ったわけです。

結局何が言いたかったかというと、
やっぱアニメはリアルっぽさや人物描写で、世界観を感じさせるでなしに なぜ惑星とセーラー服?とか、イチゴとイリオモテヤマネコってどういう・・とかの、 考え出したらキリがない設定をノリで信じさせてしまうパワーもいいな〜ってこと。

恥ずかしいアニメっていいですよね♪

と、言うわけで、
にわかに夏コミ3日目が楽しみになってきた三猫です。

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指入りおにぎりに思うこと。

2002年6月3日

ローソンの石焼きビビンバおにぎりを食べたら、中から人の指が出てきた事件がありました。

猫はこのニュースを聞いてなんでこんな事で大騒ぎになるんだろう、なんておもっちゃった不謹慎者です。

猫は生物系の学校を卒業したため、食品製造業に就いた友人がそれなりにいます。
そういった友人から製造作業中に指が良く落ちると言うことを聞いていましたし、 現にその友人も小指の第一関節から先がありません

なんだかこの手の職場ではヤの字な方より指が無い人が多いとか・・(^^;

でそう言った場合も、その指はミンチになってしまうので発見のしようがなく、 とりあえず事故の起こった周辺の食材を捨てることで指が取り除けたことにして あとはそのまま出荷するそうです。
まあ、牛肉に豚肉を混ぜてもバレないんです、ミンチになっちゃえば人の肉も牛の肉もわからないということでしょう。

これらのことから、コンビニ・スーパーのお弁当をよく食べる人はかなりの確率で人肉を食べている というのが猫の持論だったので、ニュースで大騒ぎしているのも今更感が先立ってしまいました。
今回はたまたま原型をとどめていたから気づいただけの話です。

そんなこんなでこの件についてはかなり冷めてた猫ですが、記事をよくよくよむにつれ「!?」と思うことがありました。

この問題について何が問題だったかというと、
「お客様の食べ物に指がはいるなんて衛生管理が行き届いてなくてすみませんでした。」
ということだそうです。

・・・えっと、食べたおにぎりに指が入っていた人はそれはそれはショックです。
でも、指なくなっちゃった人の方がもっとショックなのではないでしょうか?

ってか、お客様ってそこまで神様なの!?
道徳ってなんだったかしら・・・(^^;

指が無いことがどれだけ不便なことか!
なくなっちゃった主婦はこれから一生人差し指の先が無いという不便を背負っていくのに、 食品衛生上の問題ですましちゃうのですか?

猫的には、例え建前でも
「今後、指の切断のような事故が無いように気を付けます。」
と言うと思っていただけに、びっくりです。

現実問題として、指の切断のリスクを回避するだけのコストをかけると 商売が成り立たないということなのでしょうが、 それでは「労働者なんて使い捨てだ」と明言しているようなものだと思うのですよね。
ま、実際使い捨てですが

と、言うわけで、
そういう経営をするのなら、猫は従業員の指がなくなるたんびに経営者の指も詰めて欲しいと思う今日この頃です。

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GC PSOトライアル開始。

2002年6月2日

GC版PSOことファンタシースターオンライン エピソードI&IIのトライアルテストが始まりました。

PSO好きな猫のことですがら、もちろん参加したのですが、いやはや、どっぷりはまってしまいました。(^^;
ココまで凄いとは思いませんでしたわ♪

あんまりにもはまってしまったため、この週末は殆どぶっつづけでPSO三昧です。
現在のLVは20、ようやくガル・グリフォンを倒せました♪

そんなわけでここ2日ほど、ホームページをほったらかしにしてました(^^;
ごめんなさいですm(_ _)m

猫は実際にプレイする前は、変わったといっても、グラフィックが綺麗になってバランスが調整されアイテムが増えた、 と言った風なアーケードで定石な進化を見せてくれるものかとおもってたので、 マップ構成や敵の挙動の見直しによって印象が殆ど別ゲームと化しているのにはビックリしまいした。
うん、すっごい良いです。

しかし、こんなに変わったのにエピソードIの部分はDC版PSOをグラフィックも含めてほぼ完全移植なので そのギャップが凄まじさにナムコミュージアムを彷彿させてくれます(^^;)

そんなこんなのPSO EpI&IIなのですが、
具体的にどう変わったかは別レポートにまとめましたのでこちらを。
かなり熱くなっているので、若干ひいき目フィルターがかかってます(笑)

と、言うわけで、
・・・今月の電話代がおそろしいです。

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